「したいことがない」と生活/暮らしの関係

「なにもない」ところにある、ものたち

 初めての場所を歩いているとき、それが都市の大きさに関係なく、いろんなものごとが見える。年季の入った公民館、立て看板、タバコを吸うおっちゃん、鉄橋の下を潜り抜けた先のたこ焼きや。いいなあ、近所にはないなあと思う。住みたいなあとすら思える。

 でも、ここも住み始めた頃は、帰り道に図書館があり、シマチューがあり、ベローチェがあり、今時珍しいボロいラーメン屋がある、ということをいちいち意識していたことを思い出す。「なにもない」という感覚の多くは、慣れによる。自分の部屋も、引っ越してきたときは、ものたちの配置に気を使い、小さなゴミが目に入るが、そのうちにゴミも本棚の位置も当たり前になる。当たり前になると、意識されなくなる。だから、「なにもない」(=外部が内部化された)ことになる。

 

 ハイデガーを引くことがあっているかはわからないけど、写真という媒体は、「なにもない」と意識の奥底に引っ込んでいた「ある」という事実をフレームのなかに収める行為なのだろう。写真論を熱心に読んでいたわけではないが、勉強してもいいかもしれない。

http://ours-magazine.jp/kari-colle/041/

 こういう写真をみると、ただ、ものがあるという一瞬が立ち現れる。

(引用すべき写真はいくらでもあるだろうが、この手のおうち、暮らし方系の思想に、かなりもやもやしたものを抱えているので、あえて。最後に書く。)

 写真を見るとき、そのなかに何が写されているかを見ようとする。「なにもない」としていたものごとたちの存在が立ち現れてくる。

 

 

「したいことがない」問題

 「したいことがない」「何のために生きているのかわからない」という苦しさに、この構造を重ねてみることができそう。野望や欲望があって、何かをしている人たちをみると、おお、わたしはそういうものがないな、と圧倒されていた。みんなすごい。わたしはだめだ。うわあ。

 陰鬱に過ごしているとき、自分は「なにもしてない」と思われる。そのなかに、布団でうずくまるとか、唐突にあんこを炊くとか、濡れたティッシュを放ったら畳がモネラ化するとか、たばこを吸うとか、頻繁にトイレに行ってみるとか、多くの行為が発生している。「なにもしてない」の奥底に、意識から追いやっている「していること」がある。だが、そういわれても、納得できない。 なにもしてないから! ウァー!

 「なにもしてない」「したいことがない」と考えるのは、「なにかをしてる/何かのために生きている」と判断する主体が自分の外部にあることによるのではないか。外部の規範を内部化することで、動けなくなる。ガタリの「隷属集団」は参考になりそうだ。詳しくは読んでみて。

 

隷属集団とは、外部から自分たちの法を受け入れる集団であり、それは内的な法を受け入れてみずからを創設しようとするもうひとつの集団と異なっている。

            フェリックス・ガタリ精神分析と横断性――制度分析の試み』

 

 逆に、してはいけないとわかっているのにしてしまうこともある。子供のことを殴っていた人に、「殴ってはいけない」と「殴ってしまう」のダブルバインドは苦しかったと聞く。

 

 これらを考えると、行為することと、意味や意志があることは、直接につながるものではない気がする。

 

外部化された内部としての地方

 ここで、最初のおうちや暮らしの話に戻る。「したいことがない」の底の「なにかしてる」を考えたときに、食べる・寝る・住むが自然と立ち現れてくる。そうだ、わたしは、暮らしをしているではないか!となるらしい。田舎暮らし、コミュニティ/集団、働かない、ていねい、ゆっくり、自然、いえい。その暮らしをTwitterなりFacebookなりで、「どうだ!」とか「きて!」とアピールする。

 

 ……うう、むずむずする。

 ここでは、行為は意志のもとでしか発生しないわけではないという話をしていた気がする。なので、わたしには彼らが、毎日淡々とこなす「生活をしているのだ!」と強烈な意志を見せつけられている感じがしてしまう。強迫的な「なにかしなくては」幻想に囚われているようにみえる。「なにもしてない」ゾーンにありえた暮らしを、「なにかしている」に逆転させる。

 

「みんな、なにかしてるのだ!」

「やったー」

わたし「???」

 

 実態としてのまったり生活は楽しいのだろう。たまに畑仕事やると楽しいし、土管の上で寝転ぶのはきもちいい。わたしも好き。

 ただ、「なにかをしている」幻想は崩れない。その幻想のもとで、生きるのもままならないほどの暗さとしての外部は、「暮らしをする」ことで内部化される。

 

 わたしは、そこにのれない。意味や意志のコントロールできない圧倒的な外部に晒されて、立ちすくんでしまう。意志の外で生じることを無防備に、楽観的に受け入れているわけでもない。怖い。おびえる。たばこをいっぱい吸ったり、うずくまったり、ぶつぶつひとりごとを言いながら道を歩いてる。