障害-健常幻想

 介助の憂鬱談義を繰り広げていた最近でしたが、おとといは楽しかった。外出介助のいいところは、一緒に出かけることが仕事になり、介助者も楽しめることだと思う。医療的ケアは気を張るけど、慣れたらどうってことない。

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 わたしが介助のしんどさを語る背景にあるのは、当事者への苛立ちではない。一つは、雇用-労働と障害-健常の二つの権力関係があることが事態を複雑にしていることの指摘。もう一つは、相互排他的にみえる障害-健常の二項対立は、「健常」な全体という観点からは相互依存の関係にあり、それぞれは全体に従属することを通じて分離する。愚痴にしか聞こえないかもしれないけど(実際愚痴だわ)、ここをぶっ壊さない限り、介助が続かないことや介助者が増えないことについて考えることは難しい。

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 介助は基本的に「言われたことを言われた通りにやる」が原則となる。人の生活リズムは、毎日不確定だろう。トイレに行く時間、お風呂に入る時間、寝る時間は決められていない。たとえば、「ハムエッグを作って」といわれたとき、卵は目玉焼きなのか、スクランブルエッグなのか、かけるものは塩こしょうなのか、ケチャップなのか、ハムエッグのイメージはそれぞれに違ってくる。

 このように、介助における仕事内容は確定できず、常に、本人と介助者のやりとりが繰り返されることで決定される。ただ、本人たちも、やるべきことの全てを言語化するのは難しい。「掃除しといて」と言われたとして、どこまでやればいいのだろう。ピッカピカになるまで大掃除すべきなのか、ちょっと掃除機をかければいいのか。わたしは掃除が下手くそなのだけど、風呂掃除をお願いされたときに「浴槽のへりが、ざらついてるじゃん!」と指摘されて、初めて風呂掃除でやるべきことを知った。

 

 互いのイメージの違いが事前に想定できなかったり、そのときの機嫌が悪かったりするときに生じる、仕事内容の曖昧さはディスコミュニケーションにつながる。

 曖昧な状況によってうまくやりとりできなかったときに、それが一労働者としての評価に直結してしまうことはしんどい。しかも介助は一対一だから、理不尽なことを理不尽だといってくれる第三者はその場にはいない。曖昧さがあることを考えにいれず、「自分が悪かったんだ」と言われたことを真摯に受け止めてしまうと、しんどくなってくる。ただ、これは多くの職場で見られることだろう。

 

 さらに、もう一つの重要なレイヤーがある。そのときに「配慮」できなかったことが、障害(者)への「配慮」のなさに直結させられることだ。

 わたしが玄関の看板が倒れてることに気づかないまま、介助に入ったら、そのことについて「困ってる人を助けるのは当たり前でしょ」「当事者意識がないんだか」「言われたこと以外にもやってよ!」とまくしたてられた。その人のことが憎くて、やっていないならそう言われても仕方ないのだが、そんなに単純な話ではない。「言われたこと以外にもやって」は介助という”仕事”における原則と矛盾するが、介助者が”人”として無配慮であるとすることで、介助という仕事の曖昧さが隠蔽される。

 

 ここでは、雇用者-労働者の関係と、障害者-健常者の関係の二重の権力関係が入れ子になっている。それらは固定的なものではなく、状況に応じて、常に変化していく。ここに介助のしんどさがあるのではないか。

 七、八十年代からの障害者運動の流れを踏まえれば、本人たちが雇用者として介助者を雇うことによって、自立生活を始め、介助-被介助の一義的な権力関係を逸脱する契機になったことは重要だっただろう。確かに、わたしは介助で食えてる。

 しかし、仕事の曖昧さは構造的な問題から生じるにも関わらず、障害-健常の問題として解釈することによって、わたしたちはこの二項対立を持続的に生み出す装置となってしまう。単に労働環境が悪いだけなら逃げ出すことは一つの選択肢になるかもしれないが、介助を辞めることはその人の生活が立ち行かなくなることでもある。「死ねというのと同義でしょ」と誰かに言われた。介助においての排除は、誰かを追い出すことではなく、互いを縛る規範をより強固にしていくことにつながる。

 事業所に雇われているなら、こうした複雑さについて話す環境が整っている(べきだ)が、わたしは個人で雇われているだけなので、いろいろ言われると、つらすぎて二日くらい寝込む。へこんだり、逆ギレしたりしてる。

 

 とはいえ、それをどちらかの関係のみにすることも解決策とはならない。それぞれの理由で本人も介助者も困っちゃうなら、その状況を生んでいる枠組みを作り変えないとねって思う。ということを本人にはまだ言えないんだけどね、ガッハッハ。わたしは小さくやってくしかないと思ったので、どでかいことは誰かに任せます。