・ご飯を食べる量がよくわからない。どれくらいお腹が空いていて、どれくらい食べると満腹になるのか。そのためにどれくらいお金を使ってよくて、何を選ぶといいのか。よくわからない。とりあえず百円のおにぎりを食べる。

服を着て着飾ることが苦手だ。化粧をするためにどれくらい早起きしようと考えるうちに、なんでそんなことをするんだろうと問題が変わる。何の服を着ればましに見えるのだろう、そもそもましに見えるってなんだ。足全体が布に覆われているともやもやしてくるので、ハーフパンツを履く。

住むとは何か。家とは何か。帰るとは何か。

不安定な今、ここで、日々たんたんとこなしていく、そのリズムが、ぼんやりしているのだろう。それは飽きるとは違う。そのリズムに鬱屈しているのとも違う。わたしは鈍磨なんだろうなあ。その反動か、定期的に、職人的なものに憧れたりする。

 

・食べる、寝る、着る、帰る、の繰り返される中で生じるリズムは、カオスを泳いでいくためのコスモスを形成する技術なのだろう。

 

「その子のリズムに合わせればいいんだよ」

よく動く人は、一度に四つくらいの音が鳴っている。主旋律は常に流動的に変わる。私は単音がツーと鳴るタイプなので、ごろごろ変わることに驚くのだけど、相手のリズムがわかればチューニングしやすい。初めは、その転調に戸惑い、仲良くなれねえと思っていたけど、そう言われてからすっと受け止めるようになった。人にはリズムがある。

 

・わたしはあまり外に出るのが好きではない。端的に言って嫌い。だから、そのリズムの曖昧さに悩む。食べ物を買わないと。外に出るには服を着ないと。散歩ができない。どこに行けばいいのか、いつどこに帰ればいいのかわからなくて不安になる。歩いた先で倒れたらどうしよう、はああ。歩く前から疲れている。

そのとき考えればいいし、行き当たりばったりにどうにでもなるものだと思う。わかってる。それでも足は重い。いやだなあ。ほんとに。はああ。

 

・社会に提言するとか、誰かの視野を広げるとか、そういう大それたことには興味がないんだと思う。

 

・閉じることは、「開かれているための」技術だ。おっぴろげになることはないが、そこに風を通すこと。それは嵐を、雨を、灰を降らせることでもある。