人は脆い。

 

 ある場所で何人かで作っていた制作物の進行が滞っていた。そこに参加している人は「契約」して集まったのではないので、組織だったものからは程遠い。同人みたいなものだ。リードしてきた人が批判を受けるのは真っ当だとして、その人をぶっ壊す土壌を作ることは容易い。周囲は沈黙を守る。役割における責任を追及して、その人の生活を配慮しない。言い訳を許さない。

 こういう状況はいくらでもあるだろう。いじめ、ブラック企業、ハラスメント。相手に配慮することは明文化できないもので、各々の判断に委ねられる。それゆえ、これは組織の規模に関わらず、生じる。

 それでは、互いの様々な背景に配慮するとしよう。そう考えると、相手にもそう言わざるをえない状況があるはずだ。昨日寝ていないかもしれないし、幼少期に親から虐待を受けていたかもしれない、病気で頭が痛むのかもしれない……。そのとき、人はどうやったら壊れずに済むのだろう。

 人と人のあいだには様々なレイヤーがあり、複雑に絡み合っている。家族、友人、恋人、同僚。それが一つではないことに苛立つ一方で、それが複数でないことにまた苛立つ。ここから見えるものと、あそこから見えるものは大きく異なり、同じポイントに立つ誰かが見ようとしない光景もある。

 時間が経てば癒えるという言葉の無力さを思い知る。あと三十分後には死んでいるかもしれないその人に伝えられることはあまりに少ない。案外人は死なないけれど、それと同じくらい簡単に死ぬとも思う。うじゃむじゃに絡み合った網の中で、なんとか這いつくばって、泣き叫びながら生きていくしかないことに、何度泣けば済むのだろう。

 そのとき、どちらの人の側にも誰かがいてくれたらいいなあ。どちらが正しいなんてことは決してないし、誰も決められない。けど、その人たちの痛みだけは確実にある。