『降伏の記録』を読み、寝たのは4時。月初めの夜勤三連続があってから、朝方まで寝れない日が続いている。昨日、「朝フレンチトーストでも作ろうね」と話していたのに、起きたら13時。11時頃に紅茶を入れている音が聞こえたけど、結局起きれなかった。起きたときにはもう出かけていて、ちょっとさみしくなる。

昨日の晩御飯の残りを食べながら、続きを読む。無性に不安がやってくるけど、昨日書いた通り、なすがままよと流す。

ちえさんも言っていたけど、子どもとか、守るものができると人は良くも悪くもそれが拠点になるのだなあと読んでいて感じる。わたしの拠点は、今のところ、わたしの不安にしかない。不安が拠点なのに、その不安を打ち消そうとするので、動けなくなる。だから、不安を残そうともするのだろう。矛盾だらけ。でも、それでいいのかもしれない。

鹿児島に行ったとき、海に入って微妙に溺れたことを思い出す。はじめはシュノーケルをうまく使いこなせなかったから、呼吸のタイミングがつかめず、足場もなく、はじめは「だれかあ」とバタバタしていたけど、誰もいないので静かに背泳ぎで次の足場までたゆたっていく。空しか見えない。岩場までの距離感がつかめなくて、でも前を見たら呼吸ができないから、辛抱して背泳ぎを続ける。さっきはすぐそこにあったのに、時間がかかる気がする。大丈夫かよと思っているうちにようやく足が岩について、立ち上がれる。ほっとした。寄る辺のない不安も、流されているうちにどこかに辿り着くのかもしれない。辿り着いてしまうことが、いいのかどうかもわからないけど。

正直と誠実の違い、寄りかかっているということについて。

わからないままにしておく

わっ、と不安がやってきたときの対処の仕方は時が経つにつれて変わってくるものらしい。

高校を卒業するまでは、どう対処すればいいかわからなくて、問題を全く別のことに置き換え、ないことにしていた。

大学に入ってからは、それを過去のトラウマの影響として処理していた。どうしようもないときはガバガバ薬を飲んでなんとかしていた。問題を多少言語化するようになった頃だ。西尾維新ファッカーであることは十年後には恥辱の記憶になるのでしょうけど、必要な時期だったですよ。今でもアワーてなると突然新刊買ってしまうの恥ずかしい。しかも、やっぱり西尾維新だろとか思ってしまうから、更に恥ずかしい。

とはいえ、今は、トラウマとかこれまでの経験がギャーのトリガーになると考えるのは幼いなあとおもう。原因となるひとつのものを手に入れたところで問題は何も解決しないわけで。

今は、問題が問題になってる関係性の組み方を変えた方がいいなぁと思っている。そのネットワークがすこし変わってきたとすれば、それは明らかに近い人のおかげであるので、思考するだけで変わるものでもないのかもしれない。このへんは今のところあんまり救いがないですね。課題。


年取って、こういう状況はわたしにとって地雷というパターンがわかってくると事前に対処することもできる。けど、トラウマ分析をしすぎると、今はその状況でもないのに、再び襲ってくるかもしれないと防御してしまうことが増えた。これはこれで身動きが取れなくなる。

たとえば、その近い人が何しか不機嫌な様子だと、わたしはめちゃくちゃ挙動不審になる。わたしがなんかしたかなとおもうから。そのうちに、わたしのせいではないのかもとわかってきても、その可能性は消えないので、微妙にびくびくしている。

以前それがしんどくて、「よくわからない」と言ったら「なんかあった?って軽く聞けばいいよ、そのときあったことを言うよ」と言われる。なるほどねー。「嫉妬もそうねー、そのときにパッと嫉妬しちゃうわあって言った方が後腐れない」とのこと。発明だねえ。後者は全然うまくできませんが、前者はそれなりにやってる。


ここまでで何を言いたいかまとめると、漠然とした不安を言語化する作業をひと段落させても、日常の小さな不安はころころやってくる。わたしに不機嫌の原因はないのに自分のせいかもと思って不安になることはあると。

そのときの対処は、細かいルール決めも有効なんだけど、わたしがこれから大事にしたいのは、わからないことをわからないままにすることなのだとおもう。


わたしは、なぜかケンカとか不機嫌とかが異様に怖いので、丸く収めようとしがち(かつては自分を出さないことで対処してたので後々残された負荷が高すぎた)。だけど、人と一緒にいりゃあ、そんなこと絶対に起こりうるものだ。

頭で理解していても、なぜか不安とか恐怖が出てくる。矛盾しているので、そう思うことをおかしいとすると、負の感情はもりもり増殖していく。

理解と感覚は別ってことをひとまず受け入れようとおもう。

不安が生じたら、どうにかしたいと思ってしまうんだけど、結局それは人の感情とかをコントロールしようとしているのだとやっぱり思う。この傲慢さも頭では重々わかっている。でも、不安が残るのがしんどくて、態度に出ていたのでしょう。申し訳ない。


わたしは、人のことがわからない。本当にわからない。知りたいと思うのは自由だろうし、その働きかけがときによい方向にいくときもあるだろう。けど、何もかもを全てわかろうとするのはやっぱり支配でしかない。傲慢。自分の不安を押し殺したいだけの身勝手なものだとおもう。

わからないままにするのは、たぶんめちゃくちゃ怖いことなんだとおもう。わかったほうが整理がつく、準備もできる。怖いことは生理的に逃れたくなるものだろう。

でも、本当にわかってることなんてほとんどない。わたしは明日死ぬかもしれないし、明日大地震がくるかもしれないし、朝起きたら65歳になってるかもしれない。頭ではわかってるけど、わたしは全然これらのことをわかってない。納得できてない。だから、シャンプーを買いだめするし、来月乗る飛行機を取ってある。


その不安定な世界に身を委ねることは、とても怖くて、ぷるぷるするけど、それでもまた明日がやってくるのでしょう。

発見

昨日ゲームに負けて悔しかったので、30代半ばの男の人の前で村上春樹羊をめぐる冒険』を高らかに朗読したら、うずくまって震えてた。ダメ押しに「村上春樹、エモいね(笑)」と言ったら、完全ノックアウトだった。必要以上にダメージを受けたときの防御策としてご利用いただきたい。

いつかわたしも、下の世代の皆さまに西尾維新をヒクヒク笑いながら朗読されて、死んでしまうのでしょう。喜ばしいですね。


あと、よくわからんが最近、謎にアクセスがあるので、そろそろここも閉めるかのう。ふむ。

文体

 植本一子さんの本をいくつか読んだ。彼女自身が写真家であり、ECDそばにいて、そして彼は死がすぐそばに迫っていて、彼女の置かれた状況もその率直な心情の吐露も、読者に文章を読ませる理由ではあるだろうけど、なによりも、彼女の文体がそうさせるのだろうと思う。文藝に日記が連載されている。写真家あるいは作家として一瞬の出来事を切り取ることに賭けていることが、文体にも滲み出る。

 暮しの手帖の『戦争中の暮しの記録』を読む。戦下における「ふつうの人」たちの語りは、あれだけの膨大な分量があっても読まされる。あとがきに花森氏がかなづかいや書き間違いを直さず、一つの法則によらなかったとしている。

その多くが、あきらかに、はじめて原稿用紙に字を書いた、とおもわれるものでああった。原稿用紙の最初の行のいちばん上のマスから書きはじめること、題を欄外に書くこと、一見して、文章を書きなれないというより、むしろ金釘流といったほうがぴったりする書体、といったことからも、これは容易に判断できたことである。

じつをいうと、誤字あて字が多く、かなづかいも、まちまちの一つの文章を、試みに今様のかなづかいに改め、今様の漢字使いに書き改めてみた。すると、あれほど心動かされた文章が、まるで味もそっけもない、つまらない文章になってしまったのである。一見ちいさなことのようだが、これは、文章というものに、大きなかかわりあいのあることだとおもっている。

  読まされてしまう文章は、書いた人の特権性や歴史的価値に関係のないことなのだとおもう。そういう文章はおそらくだが、書いた方も、書かされてしまった、あるいは書くしかなかったといった切迫感があるのだろう。日記を日記として書いた感のあるものはそこまで読めない(有名な人だからということで企画されたであろう日記本とか)。

 そして、こういう文章を読むと、うあ!となる。情感がぐらぐらする感覚。一見すれば、素直な文章にみえたり、日記であったりするので、わたしでも書けるんじゃないかと思われてくる。しかし、日記を書くのはむずかしい。書き続けることも、書く内容のなさも、「まあ今日はいいや」とか「書き忘れた」につながっている。

 そう考えると、読まされる文章に込められた文体は、素直な文章に見えるだけで、自然とできあがった独特のリズムがあり、ことばの選び方があり、そのときの書き手の気持ちとどこまで向き合えているのかによるのだろう。

 

 わたしが気が向いたときに日記を書いていておもうのは、わたしはネット文体に慣れすぎてるなということと、わたしがわたしとして書く意味のなさに打ちのめされることです。

 暮らしにまつわる言説をネットや本や時代を問わず、いろいろと読んでみた時期だったんですが、結局、わたしは掃除はゴミが目に入ったとしても気が向くまでやらないし、買い物に行くのがめんどくさくて余った野菜をてきとーに炒めて食べているし、お菓子を作ることはあるけど、卵一個足りなくてもそのまま作っちゃうし、そのせいでご飯やお菓子がそこまで美味しくなかったり、靴下の裏にゴミがついていたりする。生活を慎重に行うことはできないとわかった。それは知ってたけど、再認識した。

 ぽけ〜とコーヒー飲んだり、たばこを吸ったり、ぽけぽけ〜と過ごせる時間はそれが続く限りにおいて、よいものではなく不安でしかないということ。旅行している間だって、三日目にはそわそわしてくる。その一瞬に耽溺できないので、そっちの世界には乗れないんだなということがつくづくわかる。山奥で育った人と銀杏探しをしていても、わたしが一個見つけるあいだに彼女は十個見つける。「そんなんじゃ山行ったら死ぬよ」と言われる。ですよね。そうおもいます。

 

 この前、働いているとこでケンカして、わたしはそんなに怒りたいことないなーとおもった。この世界とのアクセスを透明にすることで、いろんなうやむやをなんとかしているということでもある。別にそれが、いいことでもわるいことでもない。ただ、そういう態度は、わたしとして語ることがほんとうに少なくなっていくということでもある。媒体に期待された文章を書くことができても、それがわたしの言葉ではないので、どんどん浮ついてくる。とにかくいまは、ふわふわした状態で、ふわふわしているということを書くしかないのだろう。

 あと、そのケンカ相手には、一緒に働く人としてどうかと思う点がいくつかあるということを忘れないようにしようとおもう。そして、わたしはやっぱり介助をやりたいわけではねーなと思った。障害があるからどうだとか、ひとりじゃ動けない話せないとか、結局は知らねーよ。そんなん関係なく、みんな死ねっておもう。みんな死ねとおもうし、みんな生きててとおもう。明るい気持ちで、はやくしにたいとおもう。はやくおわってしまいたいとおもう。おめえのことはどうでもいいわといいながら、たぶん、人のことを、人の醜いところをとてもあいしているとおもう。

 人は思うようにならないというバグだけは信じている。ただ、それを信じることは、問題の論点が違うのに、ただ怒りをぶつけるためだけにケンカをふっかけられたり、人格をなじられたりすることを含む。全然、いいことばっかじゃない。誰かのおかげでこういうふうに考えるようになったとは、いまはまだ言えない。しらないよ。関係ないとすらおもう。なんにもわかんない。

「したいことがない」と生活/暮らしの関係

「なにもない」ところにある、ものたち

 初めての場所を歩いているとき、それが都市の大きさに関係なく、いろんなものごとが見える。年季の入った公民館、立て看板、タバコを吸うおっちゃん、鉄橋の下を潜り抜けた先のたこ焼きや。いいなあ、近所にはないなあと思う。住みたいなあとすら思える。

 でも、ここも住み始めた頃は、帰り道に図書館があり、シマチューがあり、ベローチェがあり、今時珍しいボロいラーメン屋がある、ということをいちいち意識していたことを思い出す。「なにもない」という感覚の多くは、慣れによる。自分の部屋も、引っ越してきたときは、ものたちの配置に気を使い、小さなゴミが目に入るが、そのうちにゴミも本棚の位置も当たり前になる。当たり前になると、意識されなくなる。だから、「なにもない」(=外部が内部化された)ことになる。

 

 ハイデガーを引くことがあっているかはわからないけど、写真という媒体は、「なにもない」と意識の奥底に引っ込んでいた「ある」という事実をフレームのなかに収める行為なのだろう。写真論を熱心に読んでいたわけではないが、勉強してもいいかもしれない。

http://ours-magazine.jp/kari-colle/041/

 こういう写真をみると、ただ、ものがあるという一瞬が立ち現れる。

(引用すべき写真はいくらでもあるだろうが、この手のおうち、暮らし方系の思想に、かなりもやもやしたものを抱えているので、あえて。最後に書く。)

 写真を見るとき、そのなかに何が写されているかを見ようとする。「なにもない」としていたものごとたちの存在が立ち現れてくる。

 

 

「したいことがない」問題

 「したいことがない」「何のために生きているのかわからない」という苦しさに、この構造を重ねてみることができそう。野望や欲望があって、何かをしている人たちをみると、おお、わたしはそういうものがないな、と圧倒されていた。みんなすごい。わたしはだめだ。うわあ。

 陰鬱に過ごしているとき、自分は「なにもしてない」と思われる。そのなかに、布団でうずくまるとか、唐突にあんこを炊くとか、濡れたティッシュを放ったら畳がモネラ化するとか、たばこを吸うとか、頻繁にトイレに行ってみるとか、多くの行為が発生している。「なにもしてない」の奥底に、意識から追いやっている「していること」がある。だが、そういわれても、納得できない。 なにもしてないから! ウァー!

 「なにもしてない」「したいことがない」と考えるのは、「なにかをしてる/何かのために生きている」と判断する主体が自分の外部にあることによるのではないか。外部の規範を内部化することで、動けなくなる。ガタリの「隷属集団」は参考になりそうだ。詳しくは読んでみて。

 

隷属集団とは、外部から自分たちの法を受け入れる集団であり、それは内的な法を受け入れてみずからを創設しようとするもうひとつの集団と異なっている。

            フェリックス・ガタリ精神分析と横断性――制度分析の試み』

 

 逆に、してはいけないとわかっているのにしてしまうこともある。子供のことを殴っていた人に、「殴ってはいけない」と「殴ってしまう」のダブルバインドは苦しかったと聞く。

 

 これらを考えると、行為することと、意味や意志があることは、直接につながるものではない気がする。

 

外部化された内部としての地方

 ここで、最初のおうちや暮らしの話に戻る。「したいことがない」の底の「なにかしてる」を考えたときに、食べる・寝る・住むが自然と立ち現れてくる。そうだ、わたしは、暮らしをしているではないか!となるらしい。田舎暮らし、コミュニティ/集団、働かない、ていねい、ゆっくり、自然、いえい。その暮らしをTwitterなりFacebookなりで、「どうだ!」とか「きて!」とアピールする。

 

 ……うう、むずむずする。

 ここでは、行為は意志のもとでしか発生しないわけではないという話をしていた気がする。なので、わたしには彼らが、毎日淡々とこなす「生活をしているのだ!」と強烈な意志を見せつけられている感じがしてしまう。強迫的な「なにかしなくては」幻想に囚われているようにみえる。「なにもしてない」ゾーンにありえた暮らしを、「なにかしている」に逆転させる。

 

「みんな、なにかしてるのだ!」

「やったー」

わたし「???」

 

 実態としてのまったり生活は楽しいのだろう。たまに畑仕事やると楽しいし、土管の上で寝転ぶのはきもちいい。わたしも好き。

 ただ、「なにかをしている」幻想は崩れない。その幻想のもとで、生きるのもままならないほどの暗さとしての外部は、「暮らしをする」ことで内部化される。

 

 わたしは、そこにのれない。意味や意志のコントロールできない圧倒的な外部に晒されて、立ちすくんでしまう。意志の外で生じることを無防備に、楽観的に受け入れているわけでもない。怖い。おびえる。たばこをいっぱい吸ったり、うずくまったり、ぶつぶつひとりごとを言いながら道を歩いてる。